胡麻(ごま)
 
 備前焼の代表的な焼成りに「胡麻」が有ります。「胡麻」とは、いわゆる自然釉をあらわす備前独特の言葉です。備前で、自然釉をなぜ「胡麻」と言うようになったのかは不明ですが、一説にはゴマ油の様にテラテラと光るからだとも言われています。
 この「胡麻」は、燃料の赤松のアルカリ分(K2O)が素地土の珪酸アルミニュムと反応して一種の釉を形成しているのです。
燃料の松割木が燃えた時の灰が飛んで付着して出来る為、置き場所などの条件により色々な「胡麻」が出来ます。温度の高低による「かせ胡麻」「流れ胡麻」、大きさ、付き方による「飛び胡麻」「微塵胡麻」「糸胡麻」、色による「黄胡麻」「黒胡麻」などの名称があります。
 ここでは、具体的に写真で説明します。 
 
○ かせ胡麻 ○ 流れ胡麻
 
 成温度が低い場所で出来る胡麻、備前の方言でかせている(触感がガサガサしている)からきた呼び名でしばしば緑がかった色になる。
焼色の違いにより「メロン膚」「えのき膚」と呼ばれる物もある。
 焼成温度が高い場所(火前)で出来る胡麻で、厚く降りかかった松灰が玉だれ状になって流れているものを言います。
室町初期(応永4年) 今川貞之の紀行文「道行きぶり」の一節に「さて、かゞつといふさとは、家ごとに玉だれのこがめといふ物をつくれるところなり」と書かれたのはこの様な流れ胡麻の壷であったと思われます。
 ※香々都(かゞつ)は現在の香登の古

○ 微塵胡麻
○ 黄胡麻
 あたかも、微塵粉を撒いたかの様な小さな粒状の胡麻で耐火度のやや高い土に、松灰が薄くかかった時に出来やすい。  代表的な焼色の胡麻で酸化焼成で生じます。
黄色は松灰中の鉄分(3〜4%)の発色です。



備前の窯印
 
 備前焼に、彫られた窯印が見られる様になったのは、一般的には、室町時代中期以降であると言われています。即ち、大窯を共同で焚くようになって、各自の製品がわかる様に手印を入れたのが始まりであろうと思われます。
窯印も後代になっては、その様な目的だけではなく、自己の製品の優秀性を表示する商標の如きものに変わってきたのです。
 窯印の書かれた場所、大きさなども多様で、室町時代後期のものは大きく、肩、胴部に彫っているが、時代が下がってくるに従って小さく、底部に彫られるようになり、押印も桃山時代から見られるようになって、江戸中期以降は押印の方が彫印より多くなります。
 特殊なものに古備前大瓶の肩に彫られた窯印があります。下の写真の大瓶(桃山時代)には“吉”の彫印の横に“参石入”“ひねりつち”と 彫って有りますが、この様に古備前大瓶には容量、土の種類が書いてあります。
         ※参考文献「桂又三郎著・古備前大辞典」

古備前三耳壷(室町後期)の胴部に描かれた窯印 ・古備前蕪徳利(桃山時代)の底に入れられた窯印   ・古備前大瓶(桃山時代)の窯印


古備前 耳付花入の形
 
 桃山時を中心とした茶陶古備前の代表的作品に耳付花生(花入)が有ります。
その姿は独特で、作為的に轆轤引きされた筒状の花生で、口は姥口、へら目があり、紐状の耳がついています。
いまは填めてありますが、表裏に鐶付穴が穿たれていて、当時は掛花入として使用されていたことがわかります。
 この様な独特の形はどのようにして作られたのか考えてみました。
多くの茶陶古備前の形が写しであるように、私は耳付花生も当時使われていた、「鉈篭掛花入」の写しであろうと思います。
 最初は全くの写しとして注文された耳付花生が年代と共に変化して、あの姿になったのではと推測します。
典型的な古備前耳付花入である、「太郎庵」の写真と、鉈篭掛花入の写真を下の載せておきます。
   ・古備前花生「太郎庵」(径13.7×高25.6p)  ・鉈篭掛花入 2種(小・11.5×高18.0、大・径15.5×高29.0)


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